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「「俺」のセックスなんてくそよりまるで不完全な元4浪ターン」さんの最新エントリを保存します。

時差勃起していた頃俺のペニスは誘拐されて行方不明でした


題名と画像の整合性がまったくない。
意味がわからない。
わかりたくもない。
国際的な舞台で暗躍するスパイからの暗号のようなものでしょうとしか言いようがありません。


では日記。


とりあえず最近は、最近というかさきほどだ。
きのこの山」と「たけのこの里」はどちらが色気があるのだろうということで悩んでいる。
ちなみに僕はきのこ派である。
きのこの山の方が根がいい色に仕上がっている上にカリっとパリっと軽い出で立ちをしていて上部のチョコと独立してどちらからでも気分で責めることができるのが好きだった。
たけのこの里の方はクッキー部分が無意味にもそもそとしている上に、そのもそもそをごまかすかのように上からでれっとチョコがけしてあるのがよろしくない。潔くない。
 僕は、お中元お歳暮の菓子折りやデパ地下とやらで名店の菓子が大量生産され名前だけブランドを保っているにすぎないようにみえて仰々しい包装紙に金かけて、大してうまくもない菓子類が小さい頃から苦手。一口喰って飽きる。親にないしょですぐにこっそりうまい棒を食べてみたくなるような子供だった。
 完成度の高いものというものは得てしてつまらないものが多い。いやもちろんプロや一流には一流の気風と気合があり、専門家には敬意を表し、そこからまねぶというのは正論である。だが、すでに俺レベルの一流の童貞チンコマナーを身に付けてしまうと、一流セックスチンコを正規ルートで買うのは面白くない。腐りかけのチンコやアソビつぶれたチンコやいろんな唇を知っているチンコを、完全犯罪で万引きする方が面白いよな、などと思ってしまうのである。あるいはジゴロチンコを育成してみるのも乙かもしれないなどと思ってしまうのである。
何が言いたいといえば、たけのこの里は、先にあげたお取り寄せお中元レベルの次の次くらいにくるような地位をきづいているような気がしてそこがいやなのである。一流ヅラをしているがカスちんこのようで、俺の力説するいい按配の”のりしろ”=”アソビ”がない。しかも古臭い昭和の香りがする。何から何まで中途半端な気がしてしまうのだ。チロルやビックリマンコチョコやアポロやベビーチョコほどのアソビ心も少年心も持ち合わせていない、退屈な子だ。
アソビは大事だ。
たとえば、
浴衣の襟あしかなんかを少しだけたるませる女があえて正統から崩れさせるたしなみをわかっている余裕のある女として「粋」と呼ばれるように、男の場合はフロントチャックを開けたところから勃起した突起物を白昼堂々とさらしていることが、社会的な仮面である衣服と非日常に隠された猛獣チンコが描き出す最高のロマンスであると俺は声を大にして叫びたい。
とにかく全裸チンコよりも衣服と融合したままの、恥じらいを残したチンコがカッコイイアソビなのだ。


いや、随分と話がそれたな。
たけのこの里に話を戻そう。


とにかく生真面目な一流ざぁますは時々めんどくさい。
たけのこの里は、中途半端だと書いた。まるで、世間でまぁまぁ高級品と呼ばれる接待用菓子類が雨ざらしになったあとしっけて劣化したような食感を抱いてしまう。
一体きのこの山とどちらが売れているのだろう?
嗜好に性差はあるのだろうか。
データを調べる気力がないので得意の妄想を進めることにする。
たけのこの里はお局風に振舞っていると思う。戦々恐々として入れ替えの激しいコンビニの棚で毎日こんなことをヒステリックがちに口にしているのだと推測する。
「私はきのこよりも品があるの。なにきのこって。要するにちんこだろ。
私はかぐや姫を有名にしてやった竹なのよ。松竹梅の竹なのよ!!」
とでも言いたいのかお前はという出で立ちに感じられる。
じゃぁたけのこのお前はきのこよりどう愛嬌があるんだ!!言って見やがれと思ってしまうのである。
たけのこの里のよさが僕にはわからない。




そして今眼前のテーブルの上にあるのは、なぜかたけのこの里である。




蓋をあけてみると、たけのこの里の先端のチョコ部分が室温で溶けてしまっている。こ、これは、非常事態だ。
そんなチョコに対して、丁寧なおもてなしとは何か、原形をとどめずに変容したものとどう接すれば新しいハーモーニィな遊び方、堪能の仕方ができるのだろうか。考えあぐねる。
それはまるで商品価値ゼロに等しい劣化した女を目前に、どうすればちっとぁエクスタシーな射精ができるかと脳内構築する優しい男たちの思考回路と同じだなと思ったところで、童貞・デブ・キモブロガーの俺には笑えねーよコレとあらぬ心配に陥ったりしてみる。
そんなことを思い巡らしながら、溶けたたけのこの里をゴムなしで扱うにはやや危険と判断し、ゴムをはめる代わりに、さきほどお箸でたけのこの里を喰ってみた。意味がわからない。


何か甘くどろっとした液体をたらされた「女の乳首」をつまみ食いするような感覚に陥った。そうかと思えば、石膏ギブスの変わりにゆるいチョコで固めたような「野太い男の先」から何かがねちょっと出ているのを深く味わったあとにいっきに一口でたいらげるようにも感じた。
どっちの味わい方が人として正しいのであろうか。
俺にはわからない。
よくわからないのだが、思いがけず溶け出したチョコレートというものは、官能なのだなと思った。おそらくポップで鮮やかで溶けませんと歌っている「m&m」のマーブルチョコでは体感できない日本的な濡れ場シーンととらえてよかろう。


よくもまぁたけのこの里ひとつでここまで1人で無料で楽しめるかと思うと、本当に嫌になってくる上に、そもそも俺はコアラのマーチ派であった。
ここまできのことたけのこを宣伝してやったのだから明治製菓は俺にきのこを進呈するべきである。ロッテはコアラのマーチを送ってくるべきである。


そんなことはどうでもいいのだが、ふと考えてみると、季節は10月へ移ろうとしている。


外では虫の大合唱が続いていて、時折心なしか声が弱まるようにも感じられる。
20:00.腹の虫がなくには僕にはまだ早い時刻だ。
虫といえば、本日の日記を振り返ってみるに、僕の脳内に飼ってる蛆虫は大して成長もせず消滅もしていないのかもしれない。


少しブログから離れていたので、
もうブログの世界には戻ってこれないかなと思っていたし、
胸を張って
「電波を完治してまいりました。」
と言いたかったが、


むしろ俺の性欲の秋は間違った方向へ深まるばかりである。
僕とたけのこ&きのこ狩りに行きたい人は、まず縄を買っておいてください。


ではしばらく股、冬眠します。
よいお年を。