書き起こしたメモ

P58〜60
●理想の恋人に出会えるか?
平野 そんなふうに人間関係の変化があると、恋愛の形も変わってくるでしょうね。今はSNSがあるし、いわゆる「出会い系サイト」の類もたくさんありますし。とりあえずは、ミクシィみたいに友達の友達といったあたりが安心というのはあると思いますけど。いずれにせよ、ネットで人との交流が盛んになるということは、当然に恋愛対象と出会う機会も増えるということなんだと思います。
梅田 僕なんかは学生の頃あんまりモテなかったんだけれど、中高と男子高で大学は工学部で、やっぱり出会いの機会が圧倒的に少なかったことが大きな要因だった気がします。そこがぜんぜん違えば、もっと楽しい学生生活が送れたかもしれないなあって。
だから今のミクシィとかを見ると、自分の時にこれがあったらどうだったんだろうって羨ましく思いますよ。気になる女の子と出会った場合、若い世代だったらまずミクシィに彼女の情報があるわけでしょう。誰を経由すれば知り合いになれそうか、っていうのもわかるし。とりあえず、何かが始まる確率が高いわけですからね。
平野 そんなに遠くない昔のような気でいますけど、僕の高校時代までは、携帯電話もなかったわけですし、女の子の自宅に電話しても親が出るかもしれないという非常に高いハードルがあったわけですから(笑)
梅田 家に電話は一台。相手の家にも電話が一台。こっちに親のいないタイミングを見計らってせっかく電話をかけても、向こうは親が出てしまうのが普通。僕の高校生の頃はそんな時代でしたね。今はコミュニケーションツールだけじゃなくて、全然違いますよね。自分の学生の頃を思い出して、今の道具を当時持っていたらどうだったろうと想像してみるに、最初は、自分の側から相手を探せるし選べるからすごくいいなと思ったけれど、向こうだって同様に選ぶ権利があるわけで、要するに少数対少数だったのが、多数対多数に引き伸ばされてしまうだけなのかもしれないなあ、と考えたりして。
平野 やっぱり恋愛観にものすごく大きな影響を及ぼしてると思います。地球上には六十五億人も人がいるんだから、どこかにものすごい美人で、ものすごく俺のことを好きになる人間がいるんじゃないかと、まあ、夢想したりするわけですが(笑)、でも可能性が本当に無限大に広がってしまったから、それこその一人を見つけるまでは、あきらめたり妥協したりしない! という人も出てくるかもしれない。
梅田 やっぱり自信のある人はそういう考え方をするんだな(笑)
平野 ヘンな話ですが、僕はこの歳までにいろんな結婚式に出席してきて、ネットで知り合って結婚した、という紹介のされ方をしたカップルをまだ見たことがないんですが、実際にはいるんじゃないかとも思うんですよ。
でも、ひょっとすると、ネットで出会ったということに対して、事実はともかく、そうしたある種のマイナスイメージの想像が働きがちで、ちょっと言いにくいというのがあるのかもしれない。「友人の紹介」ということになってたり。

●魅力ある人間とは
P182〜183
梅田 ネットが大きく増幅できるのは知能や情報の部分です。だからこそ逆に、人の魅力が何から来るかということを考えることが、結構大事なことだと思う。男女の関係でも、頭がいい人が必ずしもモテるわけじゃない。すごく違う軸で人間の魅力というのもがある。
その魅力と源泉の一つに、さっきの教養の核というか広義の頭の良さがありますが、そこに体つきとか顔とか表情とか雰囲気とか、要するにネットで増幅できない要素群があって、その両方が合わさって人間の魅力というものが形作られていきますよね。
そしてその魅力の総体が、幸せに暮らしていける条件になっていく。そこで、その魅力を構成している二つの要素というのは、どのぐらいの比率だと思われますか?
人間の魅力を構成要素に分割して考えるなんておかしな話だけど、ネットで増幅できる要素と、ネットで増幅できない要素を、分けて考えることが大事だと思うんです。
ネットで増幅可能な教養の核ゆえの魅力みたいなところと、ネットで増幅できない外側ゆえの魅力との比率が、感覚的ではあるけどせいぜい五分五分位だったらいい。と個人的には思うんです。
でもそれが、教養の核が七で、外側の要素は三とか、あるいは八対二だとかいうことになると、やっぱり社会全体の体感格差は、今よりも結構厳しくなってしまう。ネットの増幅能力ってとてつもないですから。

P.195
平野 ハッカーエシックスとは、どういうものでしょうか。ハッカーの倫理ですか?

梅田 プログラマーという新しい職業に携わる人たちが共有する倫理観というべきものですね。プログラマーとしての創造性に誇りを持ち、好きなことへの没頭を是とし、報酬より称賛を大切にし、情報の共有をものすごく重要なことと考える、そしてやや反権威的、というような考え方の組み合わせというか、ある種の気概のようなものです。